本田美奈子さんが亡くなったというニュースを夕方聞いた。
病に倒れるはずないと、
元気になってまた舞台に立つのだろうと、
疑いなく思っていた。

テレビで流れるニュースを見ながら、
声をあげ、身体が固まった。

人は必ず死を迎える。
どんなに貧乏でもお金持ちでも、
それは万人に等しく与えられた宿命。
与えられる時間は誰にもわからない。
明日終わるかもしれないし、
あと何十年続くかもしれない。

医療技術が進歩しても不老長寿なんてことは絶対ない。

いつ終わるかわからない人生だから。

だからこそ、
私はそれまでじたばたとあがいて生き続ける。
最期まで生き抜く。

そう決めています。

最期まで戦いぬいた本田美奈子さん。
本当に、お疲れ様でした。
天国でゆっくり休み、心おきなく歌って下さい。
ご冥福を・・・合掌
今日病院にいってきました。
何事もなかったです。


ひさびさに入院していたときご一緒だった方にお目にかかりました。

彼女は入院中もおしゃれを忘れない素敵な方で。
多分年齢は親くらいなんですが、とてもそんな風には見えないんです。
化学療法をしていても「副作用はほとんど気にならないわ〜〜〜っ」と
言って、ご主人とあちこち外出(もちろん主治医にナイショで)していた方なので。
余裕で病気を乗り切っていくのだろう・・・
などど勝手な先入観を持っていたのです。


治療終了して半年ほどで、再発。
再度治療をしている最中なのだとか・・・



早く日常を取り戻して欲しいと願ってやみません。
昨年の今日がオペでした。

「もう1年」なのか「やっと1年」なのかはよくわからないけど。
1年経ちました。

最近の私は、元気になってきました。
いろんな人の力をもらって、本当に少しずつですが、取り戻しつつあります。
皆さん、本当に色々ありがとうございます!
これからも、温かく長い目で見守って下さい。


昨年の今日のことを少し書いておきたいと思います。

朝食はもちろん無しで。
同室の人たちが食事をしているなか、落ち着かない気分でした。
そこで。
髪の毛をオペ中邪魔にならないようにまとめておいてって看護婦さんに言われていたのを思い出し。
ひさびさに編みこみをし、左右ふたつにおさげにしてみました。
鏡の中の自分は高校生みたいでした。

処置もあったので、そんなことやあんなことをしているうちに、
オペ室に行く時間になりました。

もともと何かしてないと落ち着かないタチなので。
このときには余計なことを考えてはいませんでした。
むしろ、オペから帰ってきたときに動かないで済むように、必要そうなものをベッドサイドにそろえたり・確認したりゴソゴソしてました。

朝9時スタート。
オペ室まではストレッチャーではなくて徒歩で移動して。
病棟の看護師から、オペ室の看護師に引き継がれました。
(某大学病院で患者取り違い事故が起きて以来、
歩ける患者は徒歩で行くことになったのだそうです。)
氏名確認をして、看護師や麻酔科医、主治医と挨拶をしました。
そしてオペが始まりました。
入院しました。
ガン専門病院でした。

兄の仕事の都合で、医師の家族への説明は夜にということになっていたので。ひとりで1ヶ月病院生活をする荷物をずるずる持って、出かけました。
暑い日でした。

病室に案内されると、4人部屋で。
向かいのベッドには品のいいおばあちゃま、
窓際のベッドにはおばちゃまが二人居ました。

清潔なベッドに腰掛ながら、どうして自分がここに居るのだろう?と思ってました。
なんだか自分の居場所でないような気がして。
落ち着かなかった。

これからのことを考え心細かったのでしょう。
お昼ごはんは心から美味しくなかった・・・
という印象がある。

夏に向かって空と雲が表情を変えていきこの時期がまためぐってきたのですね。

この季節は毎年、忘れられなくなるでしょう。
というとずいぶんがんばっているみたいですが。
そうでもありません(笑)。

入院中のお友達が再入院したようです。
(詳細はよくわからないのです。)
私とは違う病気ですから、処置も経過も違います。

彼女との会話のなかで。
私は「こんど何かあったとき(つまり再発です)には厳しいと思っているんだ」といったことを話したことがあります。
彼女は「もうこれ以上何も起こらないって思っている。そういうことは全然考えてない」と強く話していました。

その彼女の再発です。

どうして彼女にそんな話をしたのだろう?と少々後悔していますし。
自分の発した言葉が彼女に禍をもたらしたような気分です。
<言霊>とはよく言ったものです。

『さくらちゃんには、ストレスをかけたくない』
『仕事にも復帰し順調にスタートしたあなたに、私の分も元気で過ごして欲しい』

そう言われたら、私はがんばるしかありません。

がんばるって言っても、無理をすることではなくて。

心から楽しむ毎日を過ごさなくてはならないと自覚しました。
どこかで甘ったれている自分に、冷や水をかけられました。

はい。
毎日笑顔でがんばります!
ときどき、その後はどお?といったことも尋ねられることもあるので。
記録の意味も含め、少し報告をしておこうと思いまして。
あんまり楽しい話ではないので
読みたくない方はとばして下さい。

「病気」という意味では順調です。

3ヶ月に1回の検査に現在、異常はありません。
主治医の診察も「さら〜」っと終わります。


問題は後遺症。
『リンパ浮腫』

リンパは末梢→心臓への一方通行の流れをしていますが。
私の場合、骨盤内のリンパ節を郭清していて、
リンパの通り道が狭くなっています。
下半身→上半身の流れが悪く、
下半身にリンパ液がたまってきてしまうわけです。

この症状は数年かけて少しずつ進行していき、
可逆的なものが不可逆的になっていくようですが。
ケアをすることで、その進行を遅らせて
「付き合って」いけるのだそうです。

余談ですが、乳がんの手術でリンパ節を切除したとき。
こういうタイプの浮腫が上肢(腕)に出る場合があります。

いまの私は、大腿やソケイ部・下腹部を中心に浮腫がでていて。
長時間立っていたり、疲れると足全体に広がっていきます。
水が重力で下に落ちていくようなイメージです。

むくんでくると皮膚がピリピリ・ピリピリして。
痛くて冷えます。
半年前にくらべると、足首や膝回りが1センチ程度、
大腿も1.5センチくらい膨張してきていて。
少しずつ、浮腫が進行しているようです。

リンパ浮腫の対応の基本は
?マッサージ
?弾性ストッキングやバンテージなど加圧すること
?加圧した上での、運動
この3つ。
薬はありません。

あと細かな生活上の注意もあるんですけど。
面倒なのでここには書きません。

現在の私は、少しずつ仕事をしながら
「入れ物」が変わった自分との付き合い方を探っているわけです。
弾性ストッキングを常時着用し、
毎日マッサージして・・・


まあ、ぼちぼちです!

それにしても自慢のあんよが台無しだわ!
(注釈:かつて足は綺麗だと多少褒められたことがあったんで・・・。顔はとても自信などないんですけどね。)

まあでも、仕方ないさねぇ〜

っというわけで。
本人は結構、元気みたいです。
元気に振舞わなければならないような気がしてくる。

心配している周囲に対して。

いつまでも。しんどい顔もしていられないような気がする。



でも、心の傷はある意味で深くなる一方でもあったりして。

「辛い」と言いたいけど。
皆忙しそうなんだよな・・・。

普段マメにメールとかしないのに突然
連絡とろうとしても、ね。
自分勝手というものだ。

この歳になると仕事か家庭で大変そう。
自分も仕事しているときは周囲を顧みる余裕なかったもの。


入院仲間のひとりに、乳がんの部分再発の方がいて。

「さくらさんは、若いから大変だと思うわぁ〜」
ってしきりに言っていたのを思い出す。

『大変』の真実がわかってきたのはごく最近のこと。



とりあえず、元気ださなくちゃ。
明日は仕事だ。
今日は、「胃カメラ」でした。
初体験です。
バリウムも飲んだことないし。

ちょっとドキドキしながら検査室へ。
すぐに前処置開始。
(訳わからず。覚悟する前に始まった・・・)

まず血圧測定。
122と私にしては珍しく高かった。緊張していたんですね。
それからなにやらうす黄色い粘度の高い液体を飲まされる。
げ、おいしくない。

イスに腰掛け、喉の麻酔のためにキシロカインを口に含む。
キャラメル風?の風味がついていたので、そんなにまずくはなかった。

「飲まないで下さいねー」って。
でも「なるべく喉の奥に」って。
難しい・・・
キシロカインはドロっとしていて喉の奥になんか移動しないし。
舌とか唇に麻酔はかかってきたのは分かったけど。
喉に麻酔がかかった感じはしなかった。
このままカメラ入れたら苦しいに違いない。
なるべく奥に流そうとしたけど、やっぱり動かない。
やばい・・・

次に、肩にブスコパンを筋肉注射。
痛っ!(静脈に針入れるのはなれっこだけど。筋注は苦手だな)

しばらくすると、検査室から呼ばれた。
検査室はとても和やかでした。

先生「もう30歳なんだし。小娘じゃないんだからぁー」
看護婦「先生ってば、失礼よねー(笑)」
先生「だって名前見ると若い感じするじゃない?○○○なんて」
看護婦「ますます失礼!!」
先生「ほら、『おはスタ』に○○○っているでしょ?」
さくら「あ、いますよねぇ〜」

ガチガチの私をほぐすための会話だったんですね。

検査開始。
案の定、喉の麻酔は十分かかっていなかったのかも。
カメラ入れると反射で「うぅ〜えぇぇぇ〜」(失礼)

検査されながら、
かつて動物実験でマウスに経口投与したときのことを思い出す。
マウスも苦しかったんだろなぁ・・・

麻酔かけてくれ〜って思っていたけど。
検査は進む。
その先に入ると大丈夫なんだけど。入るまでが、ね。
看護婦さんは検査中「身体の力ぬいてね」「じょうずじょうず」と
声かけを続けてくれていました。
こういうのって患者は安心しますね。

枕もとにあるモニターをちらちら観ていたら
粘膜のヒダヒダがきれいでした。
先生も異常ないねって。

まぁでも、これくらいの苦痛なら年に1回くらい受けてもいいかな。
こわがることもないですね。
私は今まで、自分のおかれた環境は
「それを必要とされているから」と受け止めて生きてきた。

たとえば仕事。
自分が現場の管理を任されるに至ったことも。
自分の部下(仲間)と患者さんとお店を守るためには必死で働かざるを得なかった。
でもそれを必要とされていたし、
また自分に課せられた現実から逃げることは私にはできなかった。

プライベートも。
出会いも別れもあったけれど(詳細は省くが)、
そのときそのときに自分にとって必要な人が傍らに居てくれていた。
それがそのときの自分に必要だったんだなぁ・・・と思う。

でも。自分の病気については受け止めきれないでいる。

ここ1ヶ月くらいの間、ずっとそのことを考え続けた。
抑うつ状態だったと思う。
その自覚は十分にある。
精神科なり心療内科なりに行こうかとも思った。
でも薬を服用しても、原因はなくならないなら同じ事。
誰かにすべてを感情まるだしでぶつけることができれば楽だろうが、
性格上そんなこともできなかった。

この年齢でなぜ「ガン」にならなくちゃならないのか?
医学的には手術を出来て摘出できたことは、むしろ幸せだ。

でもその代償に失ったものは、私にとっては大きかった。
臓器摘出で子供を産めない体になった。
それが「欠落感」「不完全感」として私にのしかかってきている。
平たく言えば「自分はもう女性ではないな」ということだ。
ものすごく後ろめたいのだ。

リンパ節郭清によってリンパ液の流れが悪くなり「リンパ浮腫」の状態を呈している。
「むくみ」とか「浮腫」とか言うと簡単に軽い症状を思い浮かべる人が多いが、なかなか厄介な相手だ。
弾性ストッキングの常時着用とかマッサージとか対応はしているが。
いつかこれが不可逆的に進行していくのかと思うと気が滅入る。
リンパ浮腫予防のための行動制限とか生活注意もまた、より一層気が滅入る。

いわゆる「女の幸せ」もなくて。
仕事も元通りには出来なくて。
お酒も飲めなくて。
疲れないように、とか。
運動も今までの1/2くらいでね、とか。
再発・転移の不安とか
(果てしなく続く)

    ・
    ・
    ・
    ・

そのあげく、外見までも奪うのか!

ふざけんなーっ!!!!

以上、愚痴でした。
楽しくない話題ですみません。
ちょっとすっきりしました。

私は負けませんぜ。
昨日から喉が痛くて、なんだかかったるい。
咳がひどいとか鼻水がでるとか、症状はあまり強くない。
でも、だる〜い。

11日の外出のおり会場に到着したころから
「なんだかヘンだ〜」と感じていた。

風邪かな・・・

手術前と風邪のひきかたが変わったのかも。

寝ますね。
おやすみなさい。
今日は、病院で一緒だった方から電話を頂いた。
なんでも1月いっぱいくらい、長野の温泉地にいらっしゃっていたとかで。年賀状の返事が出せなかったとのこと。

楽しいお話も聞けたけど。

話に出てきた入院仲間の近況は、明暗こもごも・・・

同じ病であればこそ想うことは多々ある。
相手も同じだろうと、私は考えている。
退院後しばらくは病棟に見舞いにもいったけれど。
最近はあえて行っていない。

それは。私が元気だからだ。
少なくとも、外見で病であったことはわからない。
生と死とどちらに近いかといえば、現在は「生」の側の人間だ。
現在、病で闘っている方々にはどう映るだろうか?

外科的処置で終わった私は、化学療法や放射線療法の辛さを体感していない。放射線照射を繰り返し長期入院している方もいるのだ。
また、自宅に帰りたいと願っているのにメドの立たない方もいれば。
ホスピスに移る方もいる。

そんな、私が病棟にあがることは、かえって神経を逆なでするだろう。

人の心は複雑だ。
同じ病だからこそ、強い絆が生まれた関係もある。
でも一方で、自分と他の人の境遇を比較し「なぜ、自分は〜なのか?」
と考えたりもする。

幸せと不幸せを数えることは無意味だ。
それでも、その無意味を繰り返すのが人間だから。

喉元につきつけられている刃がある。
普段はほとんどその存在を忘れてしまっている。
でも、こうやって時々冷たい刃先を喉に這わせ
病が去ってはいないことを私に知らせる。


Hさんのご冥福を・・・。
ホスピスのMさん、心からお見舞い申し上げます。
外科を受診し。
マンモグラフィーの撮影を希望。

予約云々とかで、次回に撮影かと思っていたら。
すぐに撮ってもらえました。
ちょっと覚悟していなかったのでびっくりしました(冷汗)。
いいんだか、悪いんだか・・・・。

その前に、医師の触診がありました(これは覚悟してたんです。)
先生はきちんと名乗られて自己紹介していただきました。
問診ののち触診。
寝た状態と、座って上半身を起こした状態と。
軽く指の腹で円をえがくように触れて、しこりなど異常がないか確認するんです。
触診では、特に異常は無かったです。
いやらし〜い感じなどなかったです。
(当たり前か・・・)

ご存知のとおり、マンモグラフィーは乳房撮影。
機械に、乳房をはさんでX線撮影をするんです。
縦方向と横方向と。左右あわせて4回。

よく「痛い、痛い」ってマスコミで言うじゃないですか?
そこまで痛くはないですね。
それに、痛いのはそのときだけだし。
痛さも、ごくごく表面的なものですし。
機械ではさんでいるときだけだから、たいしたことないです。
個人的には左右差があって、右が痛かった。左は平気でした。

しいて言えば、検査技師さんも女性ならいいんですけど・・・。
おじさんでした。
あんまり気分の良いものでもないけれど。
だからといって、耐えられないものでもないです。

でも。
こういう場面では、女性のおっぱいは「性対象」ではなくて
すっかり「物体」ですね。

個人的には今回なんでもなくても
1年に1回くらいは撮影をしたいと考えています。

もし、この検査をためらっている方がいらっしゃるのでしたら、
こわがることはないと思います。
最近、家族でスキーに行こうという話になった。
「どう?行けそう?」という言葉に返事に困った。

行くだけなら、行けるかも。

でも、皆といっしょにスキーを楽しむことができるか自信がなかった。というか、むしろ、スキーは封印しなくちゃならないなと思っていたから。昨年買った板とかも、ヤフオクに出さなくちゃって。

「温泉があるから、無理せず適当に滑って、あとは温泉つかったりしていたら?」
あんまり乗り気をみせない私も同行させようと、
珍しく強硬に話をまとめようとする兄の横顔をみていたら。
はっとして「また来シーズンにしようよ」っていう言葉を飲みこんだ。

これ以外でもなんだか最近ちょっと兄の行動が今までと違うな、
と感じることがいくつか重なっていた。

兄にには兄の『想い』があって行動しているのだ。

冗談とも本気とも分からない口調で、ときどきボソっと
「お前は、人生短いからな〜」と言うこともある。

来年が今と同じ状態であるとは限らない、
と家族もどこかで考えている現実を知った。


お互いにとって良い時間を過ごすようにしなければ、と思った。
だから、スキーも。
今までどおりには滑れなくても、楽しんでこようと思う。
「楽しかったね。ありがとう」って言えればいいのかも。
今日は定期検診でした。

先生も相変わらずで。
「なにか変わったことはありませんか?」とおっしゃり。

私もわたしで「特には・・・」と答えました。

あ、終わっちゃった・・・。

それでも。

この医師との間に信頼関係はあると思うし。
少なくとも、私は「ある」と思っている。

それに、私はこの先生が案外好きなのです。

誰よりも、仕事熱心なこの先生は。
日直ではない土曜日にも、必ず自分の患者を診て回っていた。

きっと冷静沈着な顔の下に、熱い気持ちや優しい心があるに違いない。

冷静沈着なお顔の下にある、心をちらっと見たい。
入院中にちらっと見せたあのお顔を。

今後は、それをたくらんで先生にお目にかかろうか。

何か、考えよう♪

お付き合いはこの先、長いのだから。

****************************

自分では「もう病気なんてならない」って思っている。
・・・つもりでいる。

それなのに。

診察日が近づくとなんだか落ち着かない気分になる。

定期検診を重ねるごとに、この気分も薄らいでいくのだろう。
今日は診察でした。

内部の傷はきれいになってますって。

スポーツもぼちぼちして良いそうです。

血液検査、尿検査をしてきました。

今日は腫瘍マーカーを調べるってことで

採血は3本。

色々と訴えたいこととか。聞きたいこととか。

相談したいこととか。お願いしたいこととか。

あったんですけど。

毎回ノートにまとめてあるんだけど。

主治医のペースにはまって、何も言えませんでした。

あーあ。

次は3ヵ月後の予定ということで

ホルモン剤を90日分処方されました。

・・・。

私も医療従事者ですが。

これっていいんですかね?

なんとも腑に落ちない。

1時間近くまって、3分診療って良く言われることだけど。

意思疎通できないし。

来週、検査結果を聞きにくるように指示されたので

次週リベンジ!

さくらのペースにするのだ。

できるかなぁ・・・。
数年前からお世話になっているI先生のところに行ってきました。

漢方薬局の薬剤師の先生です。

手術を待つまでの間も、大変お世話になっていましたので。

退院の報告と、更年期障害等の体調の悪さ、ホルモン療法について相談しようと思って。

結局、実家の母がもらってきてくれている薬の内容をいじれず。

薬を買わずに、相談だけして来てしまった・・・。

すみません・・・I先生。

それなのに
「何でもいいから、これからも相談にきて下さいね」
という温かいお言葉まで頂きました。

I先生には、以前体調がものすごく悪いときにお世話になりました。

私の中に、先生に会うという安心感もあったのでしょう。

正直、ほっとしました。

自分の体調の悪さを分かってもらえるというのは

今の私にはすごくうれしいことでした。

今日もらった「安心感」は良い薬になりました。
今日は近所の公園に散歩しに行き、
帰り道、ヨーカドーに立ち寄り。
ぶらぶらとしていたところ。

腹巻コーナーを発見。

病院仲間のおばちゃま達から、
腹部を冷やしちゃダメっ!!!と強く言われてた。

看護婦さんから、腹帯はずしていいって言われたもんで。
はずしていたのでした。

それを見つけたおばちゃま達は、
あらら??と。
かなり驚いた様子で、上記のごとく注意したのでした。

みんな親切でした。

ヨーカドーにはタオルの腹巻があるから。
退院したら、それを買いなさい。とも言われていた。

でも。
暑いし。
ずるずると上にあがってきてしまう
腹帯をするのは、面倒だし・・・。

すべて、言い訳。言い訳。

ちなみに腹帯とは?

オペ後の腹部を保護する、
「さらし」のベルトみたいなものです。
出産後にも使用するらしいですけど。

帰宅してしばらくは腹帯をしていたのだけど。

やっぱり実用性はなくて。
寝ていて苦しくなったりもしたから。

ここ数日はずしてしまっていたから。

そのせいなのか、どうなのか。
足のむくみが、完全に改善はしないし。

出費はいたいが、身体には代えられないと、決心し。

薄くアウターに響かなそうな、シルクの腹巻をゲット!!

(ちなみに、シルクといっても大して高いものではない。)

うーん。お腹あたたか。
やっぱり冷えていたのかも・・・。

さらに、レンタルビデオ店に立ち寄り、
『シービスケット』を借りてくる。
明日見よう!

歩き回ること約40分。
異常なし。

今日の体調。
水曜日からのむくみをひきずり、
下腹部〜ソケイ部に違和感あり。

病院仲間もYさんと、Wさんから電話あり。

みんながんばっていました。
今日は、病院友達のYさんから電話あり。

入院後の一人暮らしで、
へこんでいるに違いないと、
心配して電話くれたのでした。

ありがとう!!!

今日は朝起きたときから、
まだ昨日の、むくみをひきずっている。

右の大腿の、神経麻痺が残っている部分がピリピリと痛み。
左足も、なんだかピリピリとしている。

衣類は触れると、違和感が強く感じられる。

外出の翌日は、休みを入れないとだめなんだなぁ。
会社の先輩が車で連れ出してくれました。

ベイサイドマリーナに出かけ、

イタリアンでランチをして。

少し買い物もして来ました。

退院祝いにと、クッションを買って頂いてしまって・・・。
ありがとうございました。


イタリアンで食事をして、お話をしている間に、

足に違和感を覚え。

ちゃんとしたイスに長時間座るのが
まだ身体には負担なのかもしれません。

朝11時から15時までの約4時間の外出。

大腿のむくみ発生。
下腹部〜ソケイ部も疼痛あり。

横になってゴロゴロと過ごす。

外出は3時間までかなぁ・・・。
精神的にとても不安定です。
退院の数日前から、若干その傾向はあったのですが。
先々のことを考えると、不安が募っていました。

帰ってきてからは、泣いたり・落ち込んだり。
でも、テレビを見て笑ってみたり。
友達と電話して、気分がよくなってみたり。
躁鬱状態でしょう・・・。

私の病状は死を宣告されるような深刻なものではありません。

手術をして取り切った、という見立てです。

これはガン患者としては大変ラッキーというべきことなのです。

切ることができれば、幸せなのです。

まして、追加の化学療法や放射線療法をしなくてすんだのですから。

身体の負担は少なくてすんだのです。

同じ病気の人間から見たら、

そんなに不安に思うことがあるのだろうか?というくらい軽くて、幸せなんです。

そんなことは良く分かってはいるのです。

頭の中身、理性は、機能しているのです。

でも、心が追いつかない。

「女性であること」を失ってしまったこと。

女の子は多かれ少なかれ、好きな男性の子供を生むことを望んでいるのではないでしょうか。

その機能を失うこと。その「無力感」

ガンになる患者の多くはそれなりに年齢を重ねてきた人が多くて。
だから、もう大抵は家族が居る。
私が逆立ちしたって、出来ないことをもうなしえているのです。
ベッドサイドに集まる家族を見て、
ニコニコと家族団らんを眺めていたけれど。
とてもとても心穏やかではいられなかった。
もう自分には、あんな家庭は築けないのだ、と。

それが、真実の私でした。ずるい私です。


手術の影響でさまざまな、生活の規制や心得ができたこと。

お酒は控えて。
日焼けはダメ。
怪我に注意。
虫に刺されないように。
長時間同じ姿勢を続けないこと。
締め付けの強い服装はしないこと。

あとなんだっけ?

・・・・・

生き残ったのだから、多少の不都合や不具合、規制は仕方ない、ということなのでしょうね。

でも、息苦しい。

病気であることから開放されたいのに、付きまとう「規制」

その「規制」に派生してくるのだけれど。

自分のしてきた仕事も失う可能性。
もう私の中でも半分以上あきらめてしまっているし。

いわゆる医療現場で「薬剤師」をすることはもうできないかもしれない。

そんなにしがみつくこともないって思っているけれど。

4年間の大学生活、卒業後8年目を迎える今年。
今まで積み上げてきたものをも失う「喪失感」は否めない。

だって自分には何もない。

家庭も、仕事も。財産も・・・。健康な身体もない。

資格があればこそ、転職の方法もまだあるはず。
それは「不幸中の幸い」

要はすべてが180度、変わってしまった。

それを受け入れることが困難。

病院に入院しているときには、
患者同士、お互いに励ましあっていたし、
いろんな話をすることで解決をしてきたと思っていたけど。

実際に自分の家に帰ってきて、生活をはじめると。

元通りっていうわけにもいかず。

いらいら、いらいら。

外出して気分転換っていう方法もあり、だが。

そうもいかない。

保険に1つも入っていなかったから
経済的にも苦しい。

先立つものがないってことは、楽しいことも中々できない。

本1冊買うにも、躊躇する。
レンタルビデオ店にも入らないようにしている。

それも現実。

よく、「ガンと診断されたら200万円」とテレビのCMでやっていたりする。
悪かったねぇ、入ってなくてさ・・・・。
と悪態をついてみたりもする。

病気になり損、である。

泣いてもいいのだと、病気になってから思うようになった。

泣いて、泣いて、・・・・。
3日もするといいかげん疲れてしまった。

それを超えたときに、前を向けるようになったし(その時は)。

入院中も、カーテンの陰でしょっちゅうベソをかいていた。
看護婦さんの前で泣いたこともあったし。

泣きたいときには、泣いてよいのです。
いっぱい。いっぱい。
涙と、悲しみを流してしまってよいのです。
それができるのが、人、なのでしょう。

静岡の友人が再来週、上京してくると連絡があった。
彼女と、会う約束をする。
そのとき、気分が和らいだように思えた。

でも思ったことは。
友人に会ったり、話したりすることは良いことだけど。
それだけでは、現状の解決にはならないのだということ。
今の私は、それにより逃げているのだ、と。

だから、いろんなことをここに書き記しておこうと、思う。
過去のことも。まだ完全に書いては無いし。

書き残しておきたいと、思う。

整理して、受け入れていかなくちゃ、ならない。

誰も代わってはくれないのだから。

29歳で、ガンの発病。
正直、若すぎると思う。

何故?どうして?
という想いが、まだもやもやと心を包んでいる。

でも私は「生かされた」のだ。


毎日1つ、出来ることをすればいい。
今日できたことと、思ったことを、体調とともに
記していきたい。

今日は、テレビに出ていた
『天国で君に逢えたら』という本を駅前に買いに行って来た。

1万円札を崩すことに、恐怖を覚える。
こんなことは人生初だ。

でも、末期がんの患者が書いた本ということで、
手にとらずにはいられなかった。

入院中にたまっていた洗濯をして、
そしてあとはPCに向かっていた。

案の定、足のむくみがでているようで、
そけい部と、下腹部の傷、恥骨付近に痛みがでている。
早々に終わらせなければ。

今日から尿量測定を開始したが、まあまあである。

この精神的な不安定さ。
もしかすると更年期障害症状が出ているのかもしれない、と頭をよぎる。

昨晩夜更かしをしてしまって朝起床が遅かったことと、
気力がわかなかったことで、
昼食を抜いてしまった。

3食きちんととって、規則正しい生活をすること。
それが健康の基本である。
ましてオペ後数ヶ月は腸イレウスの可能性もあるのだ。
気をつけないと。
自分を守るのは、自分なのだから。

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