今日は、病院で一緒だった方から電話を頂いた。
なんでも1月いっぱいくらい、長野の温泉地にいらっしゃっていたとかで。年賀状の返事が出せなかったとのこと。

楽しいお話も聞けたけど。

話に出てきた入院仲間の近況は、明暗こもごも・・・

同じ病であればこそ想うことは多々ある。
相手も同じだろうと、私は考えている。
退院後しばらくは病棟に見舞いにもいったけれど。
最近はあえて行っていない。

それは。私が元気だからだ。
少なくとも、外見で病であったことはわからない。
生と死とどちらに近いかといえば、現在は「生」の側の人間だ。
現在、病で闘っている方々にはどう映るだろうか?

外科的処置で終わった私は、化学療法や放射線療法の辛さを体感していない。放射線照射を繰り返し長期入院している方もいるのだ。
また、自宅に帰りたいと願っているのにメドの立たない方もいれば。
ホスピスに移る方もいる。

そんな、私が病棟にあがることは、かえって神経を逆なでするだろう。

人の心は複雑だ。
同じ病だからこそ、強い絆が生まれた関係もある。
でも一方で、自分と他の人の境遇を比較し「なぜ、自分は〜なのか?」
と考えたりもする。

幸せと不幸せを数えることは無意味だ。
それでも、その無意味を繰り返すのが人間だから。

喉元につきつけられている刃がある。
普段はほとんどその存在を忘れてしまっている。
でも、こうやって時々冷たい刃先を喉に這わせ
病が去ってはいないことを私に知らせる。


Hさんのご冥福を・・・。
ホスピスのMさん、心からお見舞い申し上げます。

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