退院4日目
2004年8月25日 病気、それに関連して精神的にとても不安定です。
退院の数日前から、若干その傾向はあったのですが。
先々のことを考えると、不安が募っていました。
帰ってきてからは、泣いたり・落ち込んだり。
でも、テレビを見て笑ってみたり。
友達と電話して、気分がよくなってみたり。
躁鬱状態でしょう・・・。
私の病状は死を宣告されるような深刻なものではありません。
手術をして取り切った、という見立てです。
これはガン患者としては大変ラッキーというべきことなのです。
切ることができれば、幸せなのです。
まして、追加の化学療法や放射線療法をしなくてすんだのですから。
身体の負担は少なくてすんだのです。
同じ病気の人間から見たら、
そんなに不安に思うことがあるのだろうか?というくらい軽くて、幸せなんです。
そんなことは良く分かってはいるのです。
頭の中身、理性は、機能しているのです。
でも、心が追いつかない。
「女性であること」を失ってしまったこと。
女の子は多かれ少なかれ、好きな男性の子供を生むことを望んでいるのではないでしょうか。
その機能を失うこと。その「無力感」
ガンになる患者の多くはそれなりに年齢を重ねてきた人が多くて。
だから、もう大抵は家族が居る。
私が逆立ちしたって、出来ないことをもうなしえているのです。
ベッドサイドに集まる家族を見て、
ニコニコと家族団らんを眺めていたけれど。
とてもとても心穏やかではいられなかった。
もう自分には、あんな家庭は築けないのだ、と。
それが、真実の私でした。ずるい私です。
手術の影響でさまざまな、生活の規制や心得ができたこと。
お酒は控えて。
日焼けはダメ。
怪我に注意。
虫に刺されないように。
長時間同じ姿勢を続けないこと。
締め付けの強い服装はしないこと。
あとなんだっけ?
・・・・・
生き残ったのだから、多少の不都合や不具合、規制は仕方ない、ということなのでしょうね。
でも、息苦しい。
病気であることから開放されたいのに、付きまとう「規制」
その「規制」に派生してくるのだけれど。
自分のしてきた仕事も失う可能性。
もう私の中でも半分以上あきらめてしまっているし。
いわゆる医療現場で「薬剤師」をすることはもうできないかもしれない。
そんなにしがみつくこともないって思っているけれど。
4年間の大学生活、卒業後8年目を迎える今年。
今まで積み上げてきたものをも失う「喪失感」は否めない。
だって自分には何もない。
家庭も、仕事も。財産も・・・。健康な身体もない。
資格があればこそ、転職の方法もまだあるはず。
それは「不幸中の幸い」
要はすべてが180度、変わってしまった。
それを受け入れることが困難。
病院に入院しているときには、
患者同士、お互いに励ましあっていたし、
いろんな話をすることで解決をしてきたと思っていたけど。
実際に自分の家に帰ってきて、生活をはじめると。
元通りっていうわけにもいかず。
いらいら、いらいら。
外出して気分転換っていう方法もあり、だが。
そうもいかない。
保険に1つも入っていなかったから
経済的にも苦しい。
先立つものがないってことは、楽しいことも中々できない。
本1冊買うにも、躊躇する。
レンタルビデオ店にも入らないようにしている。
それも現実。
よく、「ガンと診断されたら200万円」とテレビのCMでやっていたりする。
悪かったねぇ、入ってなくてさ・・・・。
と悪態をついてみたりもする。
病気になり損、である。
泣いてもいいのだと、病気になってから思うようになった。
泣いて、泣いて、・・・・。
3日もするといいかげん疲れてしまった。
それを超えたときに、前を向けるようになったし(その時は)。
入院中も、カーテンの陰でしょっちゅうベソをかいていた。
看護婦さんの前で泣いたこともあったし。
泣きたいときには、泣いてよいのです。
いっぱい。いっぱい。
涙と、悲しみを流してしまってよいのです。
それができるのが、人、なのでしょう。
静岡の友人が再来週、上京してくると連絡があった。
彼女と、会う約束をする。
そのとき、気分が和らいだように思えた。
でも思ったことは。
友人に会ったり、話したりすることは良いことだけど。
それだけでは、現状の解決にはならないのだということ。
今の私は、それにより逃げているのだ、と。
だから、いろんなことをここに書き記しておこうと、思う。
過去のことも。まだ完全に書いては無いし。
書き残しておきたいと、思う。
整理して、受け入れていかなくちゃ、ならない。
誰も代わってはくれないのだから。
29歳で、ガンの発病。
正直、若すぎると思う。
何故?どうして?
という想いが、まだもやもやと心を包んでいる。
でも私は「生かされた」のだ。
毎日1つ、出来ることをすればいい。
今日できたことと、思ったことを、体調とともに
記していきたい。
今日は、テレビに出ていた
『天国で君に逢えたら』という本を駅前に買いに行って来た。
1万円札を崩すことに、恐怖を覚える。
こんなことは人生初だ。
でも、末期がんの患者が書いた本ということで、
手にとらずにはいられなかった。
入院中にたまっていた洗濯をして、
そしてあとはPCに向かっていた。
案の定、足のむくみがでているようで、
そけい部と、下腹部の傷、恥骨付近に痛みがでている。
早々に終わらせなければ。
今日から尿量測定を開始したが、まあまあである。
この精神的な不安定さ。
もしかすると更年期障害症状が出ているのかもしれない、と頭をよぎる。
昨晩夜更かしをしてしまって朝起床が遅かったことと、
気力がわかなかったことで、
昼食を抜いてしまった。
3食きちんととって、規則正しい生活をすること。
それが健康の基本である。
ましてオペ後数ヶ月は腸イレウスの可能性もあるのだ。
気をつけないと。
自分を守るのは、自分なのだから。
退院の数日前から、若干その傾向はあったのですが。
先々のことを考えると、不安が募っていました。
帰ってきてからは、泣いたり・落ち込んだり。
でも、テレビを見て笑ってみたり。
友達と電話して、気分がよくなってみたり。
躁鬱状態でしょう・・・。
私の病状は死を宣告されるような深刻なものではありません。
手術をして取り切った、という見立てです。
これはガン患者としては大変ラッキーというべきことなのです。
切ることができれば、幸せなのです。
まして、追加の化学療法や放射線療法をしなくてすんだのですから。
身体の負担は少なくてすんだのです。
同じ病気の人間から見たら、
そんなに不安に思うことがあるのだろうか?というくらい軽くて、幸せなんです。
そんなことは良く分かってはいるのです。
頭の中身、理性は、機能しているのです。
でも、心が追いつかない。
「女性であること」を失ってしまったこと。
女の子は多かれ少なかれ、好きな男性の子供を生むことを望んでいるのではないでしょうか。
その機能を失うこと。その「無力感」
ガンになる患者の多くはそれなりに年齢を重ねてきた人が多くて。
だから、もう大抵は家族が居る。
私が逆立ちしたって、出来ないことをもうなしえているのです。
ベッドサイドに集まる家族を見て、
ニコニコと家族団らんを眺めていたけれど。
とてもとても心穏やかではいられなかった。
もう自分には、あんな家庭は築けないのだ、と。
それが、真実の私でした。ずるい私です。
手術の影響でさまざまな、生活の規制や心得ができたこと。
お酒は控えて。
日焼けはダメ。
怪我に注意。
虫に刺されないように。
長時間同じ姿勢を続けないこと。
締め付けの強い服装はしないこと。
あとなんだっけ?
・・・・・
生き残ったのだから、多少の不都合や不具合、規制は仕方ない、ということなのでしょうね。
でも、息苦しい。
病気であることから開放されたいのに、付きまとう「規制」
その「規制」に派生してくるのだけれど。
自分のしてきた仕事も失う可能性。
もう私の中でも半分以上あきらめてしまっているし。
いわゆる医療現場で「薬剤師」をすることはもうできないかもしれない。
そんなにしがみつくこともないって思っているけれど。
4年間の大学生活、卒業後8年目を迎える今年。
今まで積み上げてきたものをも失う「喪失感」は否めない。
だって自分には何もない。
家庭も、仕事も。財産も・・・。健康な身体もない。
資格があればこそ、転職の方法もまだあるはず。
それは「不幸中の幸い」
要はすべてが180度、変わってしまった。
それを受け入れることが困難。
病院に入院しているときには、
患者同士、お互いに励ましあっていたし、
いろんな話をすることで解決をしてきたと思っていたけど。
実際に自分の家に帰ってきて、生活をはじめると。
元通りっていうわけにもいかず。
いらいら、いらいら。
外出して気分転換っていう方法もあり、だが。
そうもいかない。
保険に1つも入っていなかったから
経済的にも苦しい。
先立つものがないってことは、楽しいことも中々できない。
本1冊買うにも、躊躇する。
レンタルビデオ店にも入らないようにしている。
それも現実。
よく、「ガンと診断されたら200万円」とテレビのCMでやっていたりする。
悪かったねぇ、入ってなくてさ・・・・。
と悪態をついてみたりもする。
病気になり損、である。
泣いてもいいのだと、病気になってから思うようになった。
泣いて、泣いて、・・・・。
3日もするといいかげん疲れてしまった。
それを超えたときに、前を向けるようになったし(その時は)。
入院中も、カーテンの陰でしょっちゅうベソをかいていた。
看護婦さんの前で泣いたこともあったし。
泣きたいときには、泣いてよいのです。
いっぱい。いっぱい。
涙と、悲しみを流してしまってよいのです。
それができるのが、人、なのでしょう。
静岡の友人が再来週、上京してくると連絡があった。
彼女と、会う約束をする。
そのとき、気分が和らいだように思えた。
でも思ったことは。
友人に会ったり、話したりすることは良いことだけど。
それだけでは、現状の解決にはならないのだということ。
今の私は、それにより逃げているのだ、と。
だから、いろんなことをここに書き記しておこうと、思う。
過去のことも。まだ完全に書いては無いし。
書き残しておきたいと、思う。
整理して、受け入れていかなくちゃ、ならない。
誰も代わってはくれないのだから。
29歳で、ガンの発病。
正直、若すぎると思う。
何故?どうして?
という想いが、まだもやもやと心を包んでいる。
でも私は「生かされた」のだ。
毎日1つ、出来ることをすればいい。
今日できたことと、思ったことを、体調とともに
記していきたい。
今日は、テレビに出ていた
『天国で君に逢えたら』という本を駅前に買いに行って来た。
1万円札を崩すことに、恐怖を覚える。
こんなことは人生初だ。
でも、末期がんの患者が書いた本ということで、
手にとらずにはいられなかった。
入院中にたまっていた洗濯をして、
そしてあとはPCに向かっていた。
案の定、足のむくみがでているようで、
そけい部と、下腹部の傷、恥骨付近に痛みがでている。
早々に終わらせなければ。
今日から尿量測定を開始したが、まあまあである。
この精神的な不安定さ。
もしかすると更年期障害症状が出ているのかもしれない、と頭をよぎる。
昨晩夜更かしをしてしまって朝起床が遅かったことと、
気力がわかなかったことで、
昼食を抜いてしまった。
3食きちんととって、規則正しい生活をすること。
それが健康の基本である。
ましてオペ後数ヶ月は腸イレウスの可能性もあるのだ。
気をつけないと。
自分を守るのは、自分なのだから。
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